エリムについた

出15:27「こうして彼らはエリムに着いた。そこには、十二の水の泉と七十本のなつめやしの木があった。そこで、彼らはその水のほとりに宿営した」
エリムの名前は「やしの木」という意味で、やしの木が有名なオアシスだったようです。水は旅には欠かせないもので、この前のマラでは水が苦く、飲めなかった…とあります(23)。おそらく鉄分が多くサビとかが含まれていて、苦く感じたのだと思います。現代でも赤くにごった水は飲めません。もし、彼らが不満を言わずにもう少し我慢していれば、エリムに早く着き、イスラエルの民はいやされていたかも知れません。エリムでは12の泉と70本のなつめやしが備えられていました。12も70も神の数字です。イスラエルの民はすぐに文句を言い、モーセを困らせ、そのたびにモーセは主に祈り解決を求めたのでした。水が苦いと言っては、水を甘くし、食べ物がないといえばマナを降らし、肉が食べたいといえばうずらを送り…確かに、水も食料も生活には必要なものではありますが、イスラエルの民の思いには常に荒野とエジプトでの奴隷の生活の比較がありました。「奴隷も嫌だが、食べることはできた」などと思い始めるなら、荒野はただ苦しいだけのものになるでしょう。主は約束の地に導き、祝福と繁栄を与えるように考えておられるのです。それは、イスラエルの民が約束の民で、主は必ず約束を守られるお方だからです。