かすかな細い声があった

1王19:12「地震のあとに火があったが、火の中にも主はおられなかった。火のあとに、かすかな細い声があった」
大風が吹き、地震や火が来ようともその中には主はおられませんでした(11)。大げさな目を見張る現象に心を奪われてしまうなら、かすかな細い声など聞こえないと思います。主の前で声を聞こうとするなら、この姿勢が大切なのだと思います。静まり返り、瞑想し主を待ち望む時間も必要です。ダビデがしたように、賛美するときは大いに喜び、歌い踊れば良いでしょう。しかし、何でもかんでも同じような調子では、やるほうも聞くほうも疲れてしまいます。すべては「バランス」が大切なのだと思います。主の声を聞くのにやかましく「応えてください」ばかりを連呼するなら、いつ主からの声を聞くのでしょうか?ときには激しく天の御国を攻め、奪い取るような信仰も必要です(マタ11:12)。ただ、その1つの御言葉だけに焦点を当ててしまうなら、聖書のほかの御言葉が死んでしまいます。イエス様が来られてから、すべてのことが「愛」に集約され、律法も「愛」によって完成されることが聖書に書かれています(ヨハ15:12、ガラ5:14、ロマ8:13など)。ときには激しく、ときには主のかすかな声に耳を傾ける姿勢が必要です。どんなときにも「愛」があり、バランスを考える思慮深さを兼ね備えるべきでしょう。