自分にへつらう

詩36:2「彼はおのれの目で自分にへつらっている。おのれの咎を見つけ出し、それを憎むことで」
へつらうとは国語辞典によると「人の気に入るように振舞う」とあり、おもに他人や目上の人に自分に好意を寄せてもらうために使うものです。自分に対してはあまり使わない言葉ですが、もし自分に対して使うなら自分に対して好意を寄せなければならない状況にあることを示しています。もともとのヘブル語は「chalaq(カラク)」は、「分ける」とか「あてがう」の意味があり、自分自身の心を2つに分けるようなニュアンスになります。つまり、不正を自分の心に見つけそれを憎む…と周りには見せかけることで自己満足を得ているのです。しかし、そんな人から出ることばは「不法と欺き(3)」で、信頼に足るものではありません。ダビデが見抜いているように、罪は人の心の中で起きているのです(1)。ダビデ詩篇の中で「人は互いにうそを話し、へつらいのくちびると、二心で話します(12:2)」とも言い、どうしても心が二つに分かれることを訴えています。これはダビデが多くの悪者と出会い、偽りを語る者たちを見てきたからだと思います。それでもダビデがその悪者に直接手出しすることはありませんでした。あくまでも主に判断をゆだね、正しいさばきを要求しているのです。どうしても人は自分でさばき勝ちです。ダビデの態度が主に喜ばれたのなら、それは見習うべきではないでしょうか。