迷った羊

申22:1「あなたの同族の者の牛または羊が迷っているのを見て、知らぬふりをしていてはならない。あなたの同族の者のところへそれを必ず連れ戻さなければならない」
牛も羊も大切な財産です。アブラハムが約束の地を与えられて以来、イスラエル民族は放牧をする者たちになりました。ヤコブはぶち毛とまだら毛のやぎを巧みに増やすことが書かれ(創31章)、ヨセフは自分たちの家族をエジプトに呼び寄せたとき、ゴシェンという放牧に適した地に住むことをパロに申し出ました(創47:4)。もし、家畜のうち1匹でも失うなら財産を失うことと同じ意味なります。それでイエス様はユダヤ人たちに、100匹の羊から1匹迷ったなら、99匹を置いて1匹を探しにいかないだろうか…というたとえ話をされたのです(マタ18:12)。それはユダヤ人にはなじみの話でもありますし、律法にはこの箇所に書かれているように、迷える羊を見て知らぬふりをしてはならないのです。さらに羊は必ず連れ戻さなければならない、とも書かれ、放置しておくことは許されないことがわかります。イエス様は迷った羊を罪に陥った人の比喩として語られ、迷った羊を決して放っておくことはないと言われました。それは悔い改めることのない99人の正しい人よりも大きな喜びが天にある、とも語られ(ルカ15:7)、どんなに迷った人でも悔い改め、主のもとに帰ることがいかに大切かがわかります。律法のほんの小さな1文であっても、主の御心が書かれているのです。