拒まれても

詩60:10「神よ。あなたご自身が私たちを拒まれたのではありませんか。神よ。あなたは、もはや私たちの軍勢とともに、出陣なさらないのですか」
塩の谷でエドムを一万二千人打ち殺したという記述は2サムエル8章に書かれています。またツォバの王を破り、「アラムはダビデのしもべとなり、みつぎものを納める者となった。こうして主は、ダビデの行く先々で、彼に勝利を与えられた」と書かれています(2サム8:6)。行く先々で勝利が与えられたのに、この詩の書き始めは「神よ。あなたは私たちを拒み(1)」となっています。そして、「出陣なさらないのですか」とダビデはあたかも主はともに戦ってくださらないような言い方をしています。主がダビデを拒んだという記述はサムエル記の中では見つかりませんが、主がいつもダビデと会話している様子は書かれています。ぺリシテ人をレファイムの谷で打ち破ったとき、主は「上れ、わたしは必ずぺリシテ人をあなたの手に渡す(2サム5:19)」と言われ、主の導きがあったことがわかります。しかし、すべての戦いがそうではなかったようです。時おり主はダビデの問いかけに沈黙し、ダビデは何をすべきかを迷うこともあったのかも知れません。結果的には主はダビデの戦いに勝利を与えましたが、戦いに行く前のダビデの心境はここに書かれてあるとおりだったのです。それでもダビデは自分の判断だけで戦おうとはせず、主の導きをあくまで求める姿勢でした。「応えてくれないなら、もういいや」…という態度は主が喜ばれる姿勢ではないのだと思います。