主のはかりごと

イザ46:10「わたしは、終わりの事を初めから告げ、まだなされていない事を昔から告げ、『わたしのはかりごとは成就し、わたしの望む事をすべて成し遂げる』と言う」
人生が最初からわかっていたらどうでしょう?何歳で学校に行き、何歳で結婚し、何人の子供を儲け、退職は何歳、寿命もいくつまで…多くの人は何かをなぞらえて生きています。しかし、何が起きるかわからないから人生はおもしろいのではないでしょうか?主はすべてをご存知ですし、すべては主のみ心のままに進んでいきます。歴史のどの1ページでも主の思いと違ったことはありません。それでも人がどういう人生を歩むかを知らせることはせず、人が主と出会う一瞬を待ち望んでおられるのです。それだけは主のみ心とは別のところにあります。福音は人にゆだねられ、人が主と交わり主の栄光を表すことで、ほかの人たちに主の存在を知らせる…という方法を取られたのです。イスカリオテ・ユダのようにイエス様の弟子という大変名誉あるポジションにあっても、将来といのちが保証されているわけではありません。すべては個人の信仰によります。一瞬先は闇かも知れませんし、主が導いてくださる輝く栄光の場所かも知れません。たとえ、それがサタンの誘惑のわなであっても、信仰があり、主とともに歩む人生ならば、必ず乗り越えられ、最後はサタンが恥じ入るようになるのです。