あわ立つぶどう酒

詩75:8「主の御手には、杯があり、よく混ぜ合わされた、あわだつぶどう酒がある。主が、これを注ぎ出されると、この世の悪者どもは、こぞって、そのかすまで飲んで、飲み干してしまう」
黙示録の中には「神の怒りの杯に混ぜ物なしに注がれた神の怒りのぶどう酒を飲む(黙14:10)」と書かれ、混ぜ物がなければストレートに神の怒りのぶどう酒になることがわかります。ここではあわ立つほどに混ぜ合わされたぶどう酒と書かれ、このぶどう酒は悪者にとってはかすまで飲み干すほどに魅力的なものです。また、イエス様は父なる神からの杯を非常に重要視しており、「みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください(ルカ22:42)」とその杯が非常に重い試練であることと同時に、「父がわたしに下さった杯を、どうして飲まずにいられよう(ヨハ18:11)」とも語り、杯を飲むことが御心であることを示しています。父なる神の差し出す杯には「憤りの杯(イザ51:17)」や「罰を受けるさばきの杯(エレ49:12)」などがあります。同じ杯にはいったぶどう酒でもイエス様の杯はキリストの血(ルカ22:20)、聖霊(使2:13)を表しています。父なる神が差し出した罪でいっぱいの杯はイエス様が飲まれ、十字架に架かられその罪と一緒に葬られました。それでも罪がなくなったわけではなく、さばきの時には怒りのぶどう酒が用意されており(黙16:19)、最後まで悔い改めない者たちのためにとって置かれているのです。