ナジル人として

士15:14「サムソンがレヒに来たとき、ペリシテ人は大声をあげて彼に近づいた。すると、主の霊が激しく彼の上に下り、彼の腕にかかっていた綱は火のついた亜麻糸のようになって、そのなわめが手から解け落ちた」
サムソンがペリシテ人の女を見初めたとき、両親は「私の民全体のうちに、女がひとりもいないというのか(14:3)」と反対しました。そもそも異邦の女との結婚は律法で禁じられていたはずです(申7:3)。サムソンは自由気ままで、安定した親元や、豪華な家に住もうとせず「エタムの岩の裂け目に住んだ(8)」と書かれています。女と見るならペリシテ人であろうとも構わず猛烈アタックです。そんなサムソンはナジル人として生まれました(13:7、16:17)。それはサムソンの父マノアとその妻が主に出会い、預言を受けたことから始まっています(13:3)。そのときに「その子は胎内にいるときから死ぬ日まで、神へのナジル人であるからだ(13:7)」と語られ、たとえサムソンの素行が良かろうが、悪かろうが主が死ぬまでサムソンをさばきつかさとして取り扱うことが約束されていました。現在、聖書を読む人の中には「どうして、こんな男に?」と疑問を持つ人も多いでしょう。それでもサムソンはたった1つだけ、主の言いつけを守っていたのです。それが頭にかみそりを当てないということでした。