恥を見る事はない

詩119:46「私はまた、あなたのさとしを王たちの前で述べ、しかも私は恥を見ることはないでしょう」
33節から64節までは、8節ずつその頭文字がヘブル語のアルファベット「hへー」「vヴァブ」「zザイン」「xヘット」となっています。46節は41節から始まる「Vヴァブ(日本語表記ワウもあり)」の詩の中の1節です。ここで作者は自分の口でそしる者たちへの弁明を主に要求しています(42)。もし、変な回答をしたり、間違った答えを言おうものなら敵の攻撃の的です。作者は自分の思いをそしる者に語るのではなく、主からの教え、悟りを彼らに語るつもりなのです(42-46)。それがたとえ敵の王の前であっても、主のことばを語るなら自分は恥を見ることはないと確信を持っています。イエス様は弁明するときには心配する必要はない「言うべきことは、そのときに聖霊が教えてくださるからです(ルカ12:12)」と教えてくれています。旧約では主の律法を、新約では聖霊が導いてくださることばを語るなら、その人は恥を見ることはありません。かえって、多く人は驚嘆し、権威ある教えに主の存在を認めないわけにはいかなくなるでしょう(マコ1:22)。