待つべきがどうか

1サム13:14「今は、あなたの王国は立たない。主はご自分の心にかなう人を求め、主はその人をご自分の民の君主に任命しておられる。あなたが、主の命じられたことを守らなかったからだ」
サムエルはギルガルで自分が着くまで7日間待つようにサウルに命じています(10:8)。そこで次に何をすべきか、が語られる予定でした。聖書にはサウルも民も7日間待ったが、サムエルは来なかったとあります(8)。遅刻したのはサムエルのほうでした。ここでどうするべきかが、サウルの人生を大きく左右します。もし、忍耐して待ったとしたら、サムエルから祝福のことばをもらえたかもしれません。しかし、サウルは民が帰っていく様子を見て不安になり、急いでいけにえをほふったのです(9)。その結果、サムエルから他の人を王として選び出されていることが告げられます。もちろんそれはダビデのことなのですが、サウルは人が去っていく様子をみて心を騒がせてしまったのです。神のタイミングと人のタイミングはいつも違っています。自分の都合を神に告げて、もしその通りになったら神をほめたたえましょう。しかし、結果が自分の思惑と違っていたら、神に不満を言うのでしょうか?「なぜ?」と言える立場かどうかをわきまえるべきです。「すべての営みには時がある(伝3:1)」は、ソロモンが究極に悟ったことばですが、サウルにもこの悟りがあれば歴史は変わっていたかも知れません。