ともに同じく分け合う

1サム30:24「だれが、このことについて、あなたがたの言うことを聞くだろうか。戦いに下って行った者への分け前も、荷物のそばにとどまっていた者への分け前も同じだ。共に同じく分け合わなければならない」
パウロが言ったキリストのからだの原理に良く似ています(1コリ12章)。その中で「それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです(1コリ12:22)」というのがあり、まさしくダビデが定めとした内容と同じです。ダビデは荷物番だからといって差別することはありませんでした。彼らを下に見ず、最前線で働いた兵士と同等に扱ったのです。自分は矢面に立ち、死ぬような思いをしたのに、後ろで荷物を見張っていただけの者と同じとは納得いかない…ごもっとな意見ですし、自分も同じ立場ならダビデに不満を持つでしょう。それでも戦いに勝ったのは主のおかげだと信じるなら、自分が無力であることを実感できると思います。良い行いをしようとしても、その良い行いでさえ主が備えてくださるものなら(エペ2:10)、自分で誇れるものは何もなくなってしまいます。ダビデも主に伺ってからこの戦いを始めています(8)。「自分はやった」と高慢にならず、ダビデのように「主がいてこそ」という思いになれればと思います。