衣を裂こうともしなかった

エレ36:24「王も、彼のすべての家来たちも、これらのすべてのことばを聞きながら、恐れようともせず、衣を裂こうともしなかった」
主のことばを2種類の人に聞かせました。最初はエリシャマを初めとする書記たちとすべての首長たちです(12)。そしてもう1つのグループは王と王のすべての家来たちです。書記と首長たちのところには「衣を裂く」ことは書かれていませんが、王や家来の中で誰も衣を裂こうとしなかったことを逆に考えるなら、書記と首長たちの中には衣を裂く者がいたのかもしれません。それは感情の高まりの表現で、日本なら「感情が高まって泣く」「地団駄を踏む」などが同じ表現です。ユダヤ人特有の風習で、聖書では灰を頭にかぶり(イザ61:3など)、衣を引き裂く(2王19:1など)などがあります。つまり、王も家来も誰もエレミヤに与えられた主のことばを真に受けず、誰の心にも主の真意は届きませんでした。たとえ神のことばであっても、それを受け取る器がなくては意味を成しません。そういう意味において、神のことばと人とは1セットになっていると言えます。神のことばが地に落ちないのなら、誰かがそのことを見届けなければなりません。預言者もクリスチャンも御言葉に仕える者は、神のことばがどうなるかを目撃し証しする大切な役割を担っていると思います。