セイル(エドム)へのさばき

エゼ35:12「おまえはイスラエルの山々に向かって、『これは荒れ果てて、われわれのえじきとなる』と言って、侮辱したが、主であるわたしがこれをみな聞いたことを、おまえは知るようになる」
神の選んだ民に暴言を吐いても、主がそれを聞いているのだと言われています。神の選んだ民とは現代ではクリスチャンのことを指しています。エドム人といえば、ヤコブの兄弟エサウから生まれた言わばユダヤ人たちとは血のつながった兄弟のようなものです。それゆえエドムに対する主の見方も厳しく、ここでは「おまえを荒れ果てさせて、全土を喜ばせよう(14)」とまで言われています。主にある兄弟についてはイエス様も厳しいことを言われており、もし兄弟に向かって「脳なし」と言うなら、最高議会に引き渡され、さらに「ばか者」とでも言おうものならゲヘナに投げ込まれる…とあります(マタ5:22)。主に選ばれた者たちがどんなに失敗しようが、苦境に遭おうがそれを笑うことは許されていません。ひとりひとりに対して尊敬と愛をもって接するようになることを主は望んでおられます。エドムが引き合いに出され、さばかれる様子をエゼキエルは預言しましたが、さらにそれを見たユダヤ人が「ざまあみろ」と言うことも主のみこころではないのです。憎しみも悲しみも主にあって喜びに変えられるという信仰が必要 だと思います。