御手から出たもの

1歴29:16「私たちの神、主よ。あなたの聖なる御名のために家をお建てしようと私たちが用意をしたこれらすべてのおびただしいものは、あなたの御手から出たものであり、すべてはあなたのものです」
ダビデの態度に「用意をして差し上げた」もっとくだけた言い方だと「用意をしてあげた」というおごりはありませんでした。それはいまダビデの使っている幕屋が仮のものであり、今や約束の地に入って近隣諸国との関係も落ち着き、王国として確立し、他の土地へ移動することがなくなり、幕屋に契約の箱をおいておく必要がないと考えたからです。それでも主はダビデ自身が神殿を建てることを許可しませんでした(22:8)。神殿建設が自分ができないと知ったときもダビデの信仰は衰えず、まだ若いソロモンが十分に働けるように、ほとんどすべての道具を揃えました。「種を蒔く」はイエス様もたびたび福音書の中で語ったことですが(マタ13:3)、種を蒔く者が必ずしもその実を見られるとは限りません。ダビ デは土を耕し、種を蒔き、水をやるところまでやり、後をソロモンに託しました。それはダビデ自身が地上にいられる時間が限られていたことを悟っていたからです。さらに、ダビデは自分の揃えたすべてのものが神から与えられた恵みであることも理解していました。