笑いものにし、侮った

2歴36:16「ところが、彼らは神の使者たちを笑いものにし、そのみことばを侮り、その預言者たちをばかにしたので、ついに、主の激しい憤りが、その民に対して積み重ねられ、もはや、いやされることがないまでになった」
ヨシアは惜しまれつつも亡くなり、全ユダとエルサレムは彼のために喪に服した…とあります(35:24)。彼の死後、4人の王が交代してユダ国は終わりを迎えます。それぞれ、エホアハズ3ヶ月(2)、エホヤキム11年(5)、エホヤキン3ヶ月10日(9)、ゼデキヤ11年(11)、と続き、最後のゼデキヤの時には、「彼らのもとに、使者たちを遣わし、早くからしきりに使いを遣わされた(15)」とあるように、主が相当にご自分の民を救おうと配慮されたのがわかります。しかし、彼らは神の使者を笑いものにし、みことばを侮り、預言者をばかにしました。神が何かのメッセージを人に伝えようとしたときに、受け入れないこともあるでしょう。しかし、よりによって笑いものにしたり、ばかにしたりするのは失礼な話です。むしろ受け入れられない神のことばに悩むほうがまだましだと言えます。ユダの民も王もヨシヤの神殿改革の影響を全く受けなかったのか、あるいは無視したのかはわかりませんが、指導者が代わることによってこれほども態度は変わるものかと思ってしまいます。何ものにも影響されない強い信仰を持つべきだと 痛感する歴代誌でした。