いけにえは終わった

ヘブ10:8「すなわち、初めには、「あなたは、いけにえとささげ物、全焼のいけにえと罪のためのいけにえ(すなわち、律法に従ってささげられる、いろいろの物)を望まず、またそれらで満足されませんでした」と言い」
パウロはいけにえでは罪を取り除くことはできない、と繰り返しています(11)。では、モーセの幕屋から始まった祭壇でのいけにえは何だったのか?動物の血が人の罪の代わりになったのでしょうか?モーセの律法を無視する者は死刑に処せられます(28)、とあるように、罪を犯した者は「死」をもって購わければなりません。どうやっても、律法は全うできません。もし、たった一回のいけにえで罪が消えるのなら、いけにえはそれ以降捧げることはないと書かれています(2)。パウロは「イエス・キリストのからだが、ただ一度だけささげられたことにより、私たちは聖なるものとされているのです(10)」さらに「後者が立てられるために、前者が廃止されるのです(9)」とも語り、、ささげものの時代が終わったことを告げています。ヘブル書が書かれたときもヘロデ神殿は建設中でした。それを横目に神殿の時代は終わり、信仰の時代になったと言われてもユダヤ人たちは困惑するだけだったでしょう。イエス様がメシヤかどうかはユダヤ人には難しい判断でした。