夏のくだもの

アモス8:2「主は仰せられた。「アモス。何を見ているのか。」私が、「一かごの夏のくだものです」と言うと、主は私に仰せられた。「わたしの民イスラエルに、終わりが来た。わたしはもう二度と彼らを見過ごさない」」
一般的に、「夏のくだもの」(ヘブル語「qayits(カイアツ)」) と「終わり」(ヘブル語「qets(ケイツ)」)は発音が似ていることから掛けことばとして登場していると言われています。アモスにはいなご(7:1)、や燃える炎(7:4)というきっかけになるものを見せられており、直接イスラエルが滅ぶ様子を幻としては見せられていません。イスラエルの終わりも「夏のくだもの」として見せられているのです。アモスは主が手に重りなわでイスラエルを計るのを見たとき、いなごや燃える炎のときのように主に思いとどまるようには願いませんでした。それは主の「もう二度と彼らを見過ごさない(7:8)」という堅い決心を聞いたからです。重りなわで計った結果はバランスの取れていない、釣り合っていないものでした。すなわち自分の思いだけが優先して主に従っていないということです。最後に見せられたのは、もう飢饉や炎を準備するものではなく、「最後」だったのです。主が災いを思いとどまったのは少しでも時間を作り、滅びる人を減らしたいというあわれみからではないでしょうか?