下げ振りを見て喜ぼう

ゼカ4:10「だれが、その日を小さな事としてさげすんだのか。これらは、ゼルバベルの手にある下げ振りを見て喜ぼう。これらの七つは、全地を行き巡る主の目である」
「下げ振り」は日本の建築では鉛直を調べる道具とされていますが、英語では「plumb line」とも訳されています。当時の道具と一致するかはわかりませんが、ゼルバベルの持つ「下げ振り」がまっすぐになることを喜ぶと書かれています。つまり、偏見やえこひいきなどの不純物のない正しい心が見つかったことを指していると思います。それはイスラエルだけでなく「全地」を行き巡った末の結果です。主が「下げ振り」を用いて、右にも左にもそれない正しい心を持つ者は2人いることが書かれています(3、12,14)。しかも彼らは「油注がれた者(14)」だとあります。これらの表現は黙示録にある「全地の主の御前にある二本のオリーブの木、また二つの燭台である(黙11:4)」と一致します。黙示録によれば彼らは主の証し人となり、誰も彼らに危害を加えることができません(黙11:5)。しかし、証しが終わると底知れぬところから上がってきた獣に殺されてしまいます(黙11:7)。ゼカリヤが見せられている幻はヨハネの見た幻と同じで世の終わりのさばきのことを指しているのではないでしょうか。