金銀のように純粋

マラ3:3「この方は、銀を精錬し、これをきよめる者として座に着き、レビの子らをきよめ、彼らを金のように、銀のように純粋にする。彼らは、主に、義のささげ物をささげる者となり」
金や銀は他のものと混ざりやすく、特に銅とは簡単に合金が作れてしまいます。銀と金も合金になりやすく、江戸時代には鉛や硫黄をわざと混ぜて銀と結びつかせ金だけ残すという手法が取られていました。現代では携帯あるいはスマートフォンの基盤に金が使われており、1台あたり100円程度の金が含まれているそうです。ある企業では古くなったり使えなくなった携帯を何十万台と集め、そこから金の延べ棒を作り出しています。ちなみにiphone-5には150円の金、40円の銀、5円のプラチナ、12円の銅が使われています。たとえ金が見つかったといっても喜んではいられません。主が用いられるのは純粋な金だけです。昔も今も金の精錬法には複雑な手順が必要で、純粋な金を手に入れるにはかなりの労力と 時間を要します。ほんのわずかなほこりや不純物でもあるなら「9999」という刻印を受けられないのです。「9999」は純金を示す印ですが、神を信じる者に「99.99%」の刻印が神によってされるなら、その人の誉となるでしょう。何のおごりも高ぶりもなく、純粋に主を求める心になるため精錬という苦しい中を通らなければならないのです。