自分の生まれた日をのろった

ヨブ3:1「その後、ヨブは口を開いて自分の生まれた日をのろった」
神をのろえなければ、自分の生まれた日をのろうしかないのでしょうか?ヨブの心境は「安らぎもなく、休みもなく、いこいもなく、心はかき乱されている(26)」というものでした。自分の子も財産も失い、妻は「神をのろって死になさい(2:9)」というありさまです。唯一の望みは悲報を聞きつけてヨブを尋ねた3人の友人たちでしたが、ヨブのあまりにも変わり果てた姿に7日7晩ひと言も声をかけることができませんでした(2:11-13)。ヨブの妻の言ったことは世でよく聞く人間的な思いです。すべてがうまくいかなくなったとき、神を信じる者にとって背後には主の御心があることを知っています。それゆえに「なぜ?」という疑問が生まれてくるのだと思います。そこで「死」を選択することこそサタンの思うつぼです。歴史の中で多くのクリスチャンは名も知れずに死んでいきました。すべての人が表 に立ち、有名になり、祝福されるわけではありません。中には奴隷だった人もいたでしょう。病に苦しみ、裕福とは言えなかった人もいたでしょう。人の都合が神の都合ではありません。人生がうまくいかなくても神は神なのです。