人とは何者なのでしょう

ヨブ7:17「人とは何者なのでしょう。あなたがこれを尊び、これに御心を留められるとは」
ダビデとヨブが同じような考えを持っていることは興味深いことです。ダビデも「人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは(詩8:4)」と語り、また詩編144編でも同じことを歌っています。主はちりから生まれた人はちりに帰ることを言われ(創3:19)、ヨブも「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう(1:21)」と人がどんなに着飾ったとしても、死ぬときは裸でやがてちりに戻ることを理解していました。それゆえにちりのような存在の人に目を留める主を不思議に思ったのです。ちりに息を吹き込み、自由に考える心を与え、生きる喜びを体験できるように人は設計されています。主の設計通りなら人は従順で何も疑わず、ただ主のみに目を留めて生きていたことでしょう。しかし、人に罪が入った瞬間に、恥を覚え、主を恐れるようになり身を隠しました(創3:8)。それ以来人は恥を隠す者になりました。見られて良いものと、そうでないものを区別するようになったのです。ちりから生まれた上に、プライドまで持つ人に魅力はないと思いますが、主の目には違って映っ ているのでしょう。