やみが地をおおい

イザ60:2「見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現われる」
「起きよ、光を放て(1)」は、多くの教会で説教テーマになる聖句であり、この章にはイエス様の支配する新世界が描かれていることで有名です。「光」そのものは私たちが放つわけではなく、主の栄光がそうさせるのです(1)。ここで知っておくべきことは、光や輝きの言葉には「やみ」と「暗やみ」という言葉が一緒に併記されていることです。これは創世記の初めの表現とよく似ています。「やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた(創1:2)」とあり、「光があれ(創1:3)」の前に「やみ」があったことがわかります。それは光り輝くことを知るには、光らないものを知る必要があるからです。何かを知るにはそうでないものと比較するのが一番効果的です。主の光がいかに輝いているかは、諸国をおおっている暗やみを見れば良いわけです。癒されるためには、傷つく必要があります。回復するためには、落ち込まなければなりません。主が忍耐なされるのは、人が学ぶべき試練を通ることにより、何が癒しで、どうなることが回復かを悟らせるためだと思います。