それでよい

レビ10:20「モーセはこれを聞き、それでよいとした」
新共同訳では「モーセはこれを聞いて納得した」となっています。「よい」というヘブル語は「yatab(ヤターブ)」が使われており、「喜ぶ」とか「良くする」という意味があります。モーセはすでに焼かれて煙になってしまったやぎを必死に探していましたが、見つかりませんでした(16)。アロンの長男と次男の2人が主によって殺されたばかりです。アロンと息子たちは、悲しみの表現である髪を乱したり、服を破くことも禁じられ、天幕の外に出ることもできなかったのです(6-7)。さらに食べるべき肉を食べなかったとミスの上塗りのような状態で、アロンは残った2人の息子までも失いかねない状況です。そこでモーセはエルアザルとイタマルに怒ったのです(16)。しかし、アロンは「こういうことが私の身にふりかかったので(19)」と反論しています。「こういうこと」というのはナダブとアビフが主によって殺されたことです(2)。「それでよい」というのは、モーセが現状のままで問題ないと判断したことを指しています。食べなかったことはアロンたちのミスだったかもしれませんが、食べなかったことで責任を問われることはありませんでした。