ヨブ27:6「私は自分の義を堅く保って、手放さない。私の良心は生涯私を責めはしない 」
英語NIV では前半は「I will maintain my innocence and never let go of it 」と訳されています。「義」は「innocence」となり、ヘブル語では「tsedaqah(ツェダカ)」が使われ、「正義」の意味で用いられています。確かに自分が侵したことのない罪をかぶることはできないことです。冤罪は罪のない者が罪に問われる典型だと言えます。そのときに自分が潔白であることを言い続けることは大事です。検察の追及に根負けして罪を認めてしまったらそれまでです。ヨブの神に対する態度には頭が下がります。しかし、「私の良心は生涯私を責めはしない」と語ったあたりからヨブの激しい主張の中に、ノイズが聞こえ始めます。ヨブの最後の訴えにビルダデたちは沈黙してしまいますが、その理由は「ヨブが自分は正しいと思っていたからである (32:1)」と書かれています。友人たちは罪には罰という考えに支配されていますが(20章)、ヨブは義なる者の訴えは神の耳に届くはずだと考えています(23:4)。「私は間違っていない」と「私は正しい」との間には微妙な違いがあります。あくまでも「私は正しい」と訴え続けるなら、「高慢」という副作用を誘発しかねないのです。