出1:17「しかし、助産婦たちは神を恐れ、エジプトの王が命じたとおりにはせず、男の子を生かしておいた 」
「恐れる」はヘブル語「yare(ヤレイ)」が使われています。この語はアダムがエデンの園で知識の実を食べた後、主の声を聞き、自分が裸なのを恐れたときに初めて聖書に登場します(創3:10)。助産婦たちはまだ十戒を知りませんが、彼女たちは生まれた赤ん坊を殺すことを恐れたのです。すなわちまだ「殺してはならない(20:13)」という戒めがないにも関わらず、殺すことが神に反することだと理解していました。助産婦に対してモーセはエジプト人を殺してしまいます(2:12)。パロの娘の下にいたモーセには神を恐れる知識がなかったのです。後にモーセの遺体についてミカエルと悪魔が言い争うことがユダの手紙に出てきますが(ユダ9)、その時の論点がこの殺人だったのではないかと言われています。やがて律法には「いのちにはいのち、目には目、歯には歯(申19:21)」と定められ、殺人を犯すものには命をもって贖うことが書かれています。助産婦はアブラハム契約「あなたを祝福する者をわたしは祝福し (創12:3)」ということば通り祝福を受けました。ロシアのユダヤ人迫害ポグロムやヒトラーのユダヤ人迫害は、アブラハム契約に反するものです。やがてパロはへブル人に限らずすべての民に「生まれた男の子はみな、ナイルに投げ込まなければならない (22)」と命じます。この命令によってモーセはパロの娘に拾われるのです(2:3-10)。