詩篇84篇 絶え入るばかりです

詩84:2「私のたましいは、主の大庭を恋い慕って絶え入るばかりです。私の心も、身も、生ける神に喜びの歌を歌います」
「絶え入る」はちょっと変わった日本語ですが、国語辞典では「息が絶えて死ぬ」とか「気絶する」とあり、英語NIVでは「faint(気絶する)」を使っています。主の住まわれる場所を慕い、息が絶えんばかりの思いだと歌っているのです。コラの子たちの詩は41-48篇まで歌われており、「鹿が谷川を慕うように(41篇)」や「神は我らの避け処(46篇)」「すべての国々の民よ、手をたたけ(47篇)」「主は大いなる方。大いにほめたたえらるべき方(48篇)」など、多くの人に親しまれている詩を残しています。84篇では神の住まいをテーマに歌われています。ダビデモーセに示された幕屋とは違うオリジナルの天幕を作り、そこには契約の箱を仕切る幕などはありませんでした(2サム6:17)。モーセの幕屋のように入り口から入って大庭があるのでなく、ダビデの幕屋全体が主の箱を囲む大庭になっていました。コラ人は門衛に任命され(1歴9:19)、門から天幕の様子を見ていたのだと思います。いよいよコラの子らが賛美する順番が来たとき、彼らはいつも門から天幕の中を眺めていた思いのたけをこの詩に託し、「あなたの大庭にいる一日は千日にまさります(10)」と歌ったのだと思います。