詩篇42篇 おまえの神はどこにいるのか

詩42:10「私に敵対する者どもは、私の骨々が打ち砕かれるほど、私をそしり、一日中、「おまえの神はどこにいるのか」と私に言っています」
詩編の順番は、後世の人が並べたのでなく、最初からこの順番で編纂されていました。そして42編から第2巻が始まり、全部で5巻まであります。この詩の歌い方はダビデのものに非常に近いと思います。この詩を歌った「私」が誰かはわかりませんが、涙を昼も夜も流し続け、人から「おまえの神はどこにいるのか」と言われ続けたのです(3)。神は生きておられる…と反論すればいいのでしょうが、言い争わず、さばかないという態度がダビデの性格によく似ているいると思います。この者はヨルダンとヘルモンの地(6)へ行っていることから、イスラエルの北のほうに遠征か、あるいは旅をしているのだと思われます。この歌い手は喜びと感謝の声をあげて、祭りを祝う群衆とともに神の家にゆっくりと歩いて行った(4)ことがあります。あたかもダビデが主の箱を自分の町に運んだときの様子が頭によぎります(2サム6:15)。ダビデは主の箱が6歩進むたびに肥えた牛をささげました(2サム6:13)。これが「ゆっくりと歩いて行った(4)」と符合する部分です。しかし、今この歌い手は気力を落とし、憂いています。神はどこにいるのか、と揶揄されても反論する気力もないようです。それでも最後には力を振り絞って「神を待ち望め(11)」「私はなおも神をほめたたえる(11)」と詩の最後を閉めています。やはりこの詩はダビデのものなのでしょうか。