申命記19章 のがれて生きることができる

申19:4「殺人者がそこにのがれて生きることができる場合は次のとおり。知らずに隣人を殺し、以前からその人を憎んでいなかった場合である」
現代の法律用語なら「過失致死」に相当する決まりです。「過失」は英語では「unintentional」とか「negligence」などが使われ、「negligence」に関しては過失というよりも、怠慢とか不注意という意味が強い単語です。申命記の最初にモーセだけならこのような問題をさばききれないと判断し、部族のつかさにそれぞれの問題をさばくようにゆだねました(1:9-17)。出エジプトではこのアイデアモーセの舅イテロによる進言があったことが書かれています(出18:17ー23)。本来ならさばきは神のものです(1:17)。それゆえにモーセは「人をかたよって見てはならない(1:17)」と戒めています。過失致死は加害者も被害者もどうしようもない、やりきれない気持ちにさせてしまいます。中には聖書にあるように復讐をたくらむ者が、憤りの心に燃え、加害者に危害を加えることも十分考えられます(6)。そこで考え出されたのが「逃れの町」の規定です。本当に故意であったかどうかは、さばきつかさたちは、人の心の中を見なければなりません。そこにはもう1つの決まりがあり、2人以上の証人がいなければ立証されないというものです(15)。それでも本当のことはわからないと思います。もし、現代に「逃れの町」制度があるなら、加害者も被害者も交わることなく復讐されることはなくなると思います。同時に加害者には新しい町で別の人生をスタートさせる、アメリカの証人保護プログラムのようになるでしょう。