詩篇101篇 高ぶる目と誇る心の者に

詩101:5「陰で自分の隣人をそしる者を、私は滅ぼします。高ぶる目と誇る心の者に、私は耐えられません」

上に立つ人たちがすべて高ぶりを避けてくれればありがたいものです。しかし、現実は上に立つ者は権力をかさに威張る人を多く見かけます。ダビデはだれが「主」で、だれが「しもべ」かを理解していました。たとえ自分の命が狙われようとも、主が油注がれたサウルに対して、決して歯向かうことはせず、最後まで神の権威を守りとおしました。主が高ぶる者を嫌うように、ダビデも同じように高ぶる者を嫌いになります。実際に、宇宙を造られたかたが、人に仕え、人から蔑まれても耐えられたのです。「神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました(ピリ2:6-7)」とあるように、イエス様はことばだけでなく、その行動においても人に仕える者となられたのです。このようなダビデの性格を主ご自身も喜ばれ、ダビデが契約の箱を持ち込んだダビデオリジナルの天幕の中でも怒りを見せず、アモスの預言の中では「わたしはダビデの倒れている仮庵を起こし、その破れを繕い、その廃墟を復興し、昔の日のようにこれを建て直す(アモ9:11)」と言っています。それほどダビデが喜び、賛美する様子を好まれたのです。ダビデほど主に近づき、主の声を聞こうとした人はいません。