サウルの最後

1サム31:3「攻撃はサウルに集中し、射手たちが彼をねらい撃ちにしたので、彼は射手たちのためにひどい傷を負った」
もしダビデがこの戦いに出ていれば、親友ヨナタンはおろかイスラエル王サウルの死に加担したことになります。主の哀れみによって、ダビデはこの戦いから外されました。サウルは美男子で、誰よりも肩から上だけ高かった(9:2)とあるように、サウルを見分けるのは簡単でした。ペリシテの射手たちが、ひときわ背の高いサウルを狙い撃ちにしたのは納得できます。最後までサウルが主に決断をうかがうという記述は見られませんでした。一方、ダビデは戦いの前に必ず主に尋ねています(23:1など)。この態度の差が明暗を分けたように思えます。サウルは霊を受けやすい体質で、主の霊も受けることができましたが、主からの悪い霊も受けています(16:23)。王になってから幾度も自分の行いを恥じて、悔い改めることができたはずです。サウルはダビデに2度も命を救われ、ダビデの王を恐れる態度を見ても、自分の思いを捨てることができませんでした。王になれたら高慢にもなるでしょう。しかし「人はうわべを見るが、主は心を見る(16:7)」とサムエルが言ったように、心に曇りのない人こそが主に近づけ、霊を注いでもらうことができるだと思います。