プロが使わない石

マタ21:42「イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、次の聖書のことばを読んだことがないのですか。『家を建てる者たちの見捨てた石。それが礎の石になった。これは主のなさったことだ。私たちの目には、不思議なことである』 」
詩篇118、22節と23節のことばを引用しています。家を建てる者たちとは、その方面の知識に長けているプロフェッショナルのことです。厳しいプロの目で礎の石を見分けないと、家が傾いたり、形が安定せず後で面倒なことになります。そのプロが「この石は使えない」と判断するなら、家の支えになる石としては不適格なのです。そんな石を神はいしずえに用いるのです。普通ならありえないことでも、神に不可能はありません(ルカ1:37)。経験豊富で、判断の誤りも少ないなら、その人の意見は尊重されるべきでしょう。しかし神のお選びになるものは、最も貧しく、最低のものばかりです。そういう風に言われて、残念ですか?腹が立ちますか?自分はもっとましな人間だと信じていますか?どんなに努力しても、行ないを改めようとしても駄目だったことはないでしょうか?人は誰ひとりとして、神と共に歩まなければ成長はしません。人を裁かず、ただ主に目を留め、賛美するなら、その人は世間から見捨てられるような人でも、主が用いてくださいます。決して自己卑下を推奨しているわけではありません。神の前にへりくだることが大切だと言っているのです。