行くだけならまだしも

エレ2:18「今、ナイル川の水を飲みにエジプトの道に向かうとは、いったいどうしたことか。ユーフラテス川の水を飲みにアッシリヤの道に向かうとは、いったいどうしたことか」
主が示した地には、満足する水はなかったのでしょうか?カナンの地ははちみつの滴る裕福な土地で、ヨルダン川もあり、水も豊富に使うことができました。ヨシヤ王の時代にエジプトのパロ・ネコがユーフラテス川に上ってきた、と記録が残っています(2王23:29-35)ので、ヨシヤはユーフラテス川あたりに居を構えていたことがわかります。また、ノフとタフパヌヘスはエジプトの都市で、ミグドルと合わせて下エジプト3大都市と言われていました。この地にもユダヤ人は進出し住んでいたようです(エレ44:1)。しかしイスラエルの国が分裂し、捕囚を受けるとき、ノフ、タフパヌヘスの人はユダヤ人の頭のてっぺんを剃ると書かれています(16)。坊主になるより、てっぺんだけが禿げになることのほうが恥ずかしい姿です。そのような辱しめを受けるのは、イスラエルが約束の地に留まらず、近隣の国へ勢力を伸ばしたからだと主は言われているのです。主は唯一のお方なので、他の物を拝むことを嫌います。ユーフラテスでも、ナイルでも行って占領するだけならまだしも、そこにある宗教に感化され拝むようになることを厳しく指摘している御言葉です。