ことごとく滅ぼさない

エレ5:10「ぶどう畑の石垣に上って滅ぼせ。しかし、ことごとく滅ぼしてはならない。そのつるを除け。それらは主のものではないからだ」
ソドム・ゴモラの破壊、ノアの洪水やバビロン捕囚も、神がいつまでも罪を放置しないで、必ず裁きをするという史実です。主が裁きを行うとき、すべてを滅ぼしはしません。アブラハムに語った「滅ぼすまい、その十人のために(創18:32)」…は、主が正しいものを決して忘れず、救い出してくださるという大事な言葉です。イエス様の十字架以来、主は2000年間待ちました。終わりの時代の裁きは、イエス様の再臨とともに始まります。それはノアの日のようだ、と書かれています(マタ24:37)。今までにあった最大の裁きは、ノアの洪水です。わずか8人しか残りませんでした。しかしその8人に罪がなかったのか、というとそういうわけではありません。肉は受け継がれ、イエス様が十字架にかかるまで、完全な購いは完成しませんでした。終わりの日は、主が与えてくださった最後のチャンス、すなわちイエス・キリストを信じる信仰者たちのものです。それは心の中にあり、誰も本当に信じているかどうかはわかりません。唯一、目に見えないものを、あたかも見えるもののように行動することこそ、信仰の証しになるのです。