まだらの猛禽

エレ12:9「私の相続地は、私にとって、まだらの猛禽なのか。猛禽がそれを取り巻いているではないか。さあ、すべての野の獣を集めよ。連れて来て、食べさせよ」
猛禽は鷲や鷹などの肉食の鳥のことです。ふくろうも猛禽類です。まだらは主の選びを指します。創世記ではヤコブが義父ラバンとの約束で、ぶち、まだら、しま毛を羊が産み分けた事実があります(創31:8)。まだらやぶちの遺伝子が常に優勢に働くかどうかは判りませんが、主が働かれるとき、不思議とまだら毛だけの羊、あるいはぶち毛の羊だけが誕生しました。それゆえ斑点は、他の斑点のない猛禽から見ると目立ちます。まだらの猛禽は、他の猛禽たちに取り囲まれてしまいます。神の民が襲われるときが近づいているのです。ぶどう園には「牧者」が現れ、荒野にしてしまいます(10)。ここでは猛禽が、野獣をむさぼることと、牧者がぶどう園を荒らすことが書かれています。ぶどう園は教会を指しますから、終わりの時代にはむさぼる斑点のない猛禽と牧者と呼ばれる指導者が教会を荒らすことを暗示していると思います。教会の中だから大丈夫とか、指導者だから大丈夫という風にはならないということです。終わりの時代は「信仰」が試されます。「人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか(ルカ18:8)」…これは現実味を帯びた言葉になりつつあります。