亜麻布の帯

エレ13:7「私はユーフラテス川に行って、掘り、隠した所から帯を取り出したが、なんと、その帯は腐って、何の役にも立たなくなっていた」
エレミヤは主の命令によって、新しい帯を買って締めていました。帯をはずしてしまうと、あられもない姿になり、なんとも格好悪い状態です。6節の「多くの日」がどのぐらいの長さかわかりませんが、エレミヤが主の命令通りのことをしたのなら、長い間帯を締めずに生活したことになります。帯をはずすことは、内にある肉をさらけ出すという意味です。帯をしっかり締めていないなら、神に従えず、むき出しの肉の思いにまかせて自分勝手に判断してしまうでしょう。岩の割れ目に隠す(4)とは、人目につかない場所に隠すという意味です。ユダもイスラエルも帯をはずし、肉の思いに支配された生活を続けました。帯は主と人とを結びつける役割をしてたのに(11)、肝心の帯を締めていなかったのです。亜麻布が腐るのは、そんなに短い時間ではないと思います。帯が朽ちる前に、帯を探し出し、もう一度締め直すなら、肉の思いは外に出てこないでしょう。新約では、腰に真理の帯をまくこと(エペ6:14)、さらに愛を付けて結ぶことで完全なものになるとあります(コロ3:14)。生身の肉をさらけ出して、帯をするのを忘れていませんか?