すべてをご存知

エレ16:17「わたしの目は彼らのすべての行ないを見ているからだ。彼らはわたしの前から隠れることはできない。また、彼らの咎もわたしの目の前から隠されはしない」
すべてを主がご存知なら、何も説明する必要はないでしょう。しかし、主は人と語り合いたいと願っています。祈りが、必要を満たしてもらうための手段だとするなら、主との交わりはつまらないものです。主の前から隠れることが出来ないと知れば、自ずと祈りは変わってくると思います。「すべてをゆだねます」と言いながら、「あれをこうしてください、これを満たしてください」と祈るなら、ゆだねたことにならないと思います。どんな結果になろうとも、主にゆだねた結果なら甘んじて受ける信仰が必要なのではないでしょうか?日本で観測以来最大の地震がありました。どんなに「この地に地震が来ないように」と祈った人がいたとしても、主のみ心なら変えることはできません。日本にとって大きな試練です。人々は、どんなに準備して警戒しても、地を揺るがす力には太刀打ちできません。人々は「自然は怖い」と口々に言いますが、クリスチャンは地震がなぜ起こったかを知っています。人には絶対コントロールできない領域があるのです。日本の教会は1万人以上の福音を述べ伝えるべき人を失ってしまいました。世の終わりが近づいています。私たちのお尻には火が付いた状態になりつつあると思います。