500年も前のこと

1王16:34「彼の時代に、ベテル人ヒエルがエリコを再建した。彼は、その礎を据えるとき、長子アビラムを失い、門を建てるとき、末の子セグブを失った。ヌンの子ヨシュアを通して語られた主のことばのとおりであった」
ヨシュア記に「エリコの再建を企てる者は主の前にのろわれよ。その礎を据える者は長子を失い、その門を建てる者は末の子を失う(ヨシュ6:26)」とあります。約550年も前に崩れたエリコはクリスチャンの前に立ちふさがる、試練、困難の象徴です。主の命令により、1日1周エリコの城壁を回り、それを6日間、7日目には7周回り、角笛を吹き鳴らすと城壁は崩れ落ちました(ヨシュ6:20)。主が一度崩したものを再建してはいけません。それはもう一度、悩みや苦しみを呼び戻すことになるからです。聖絶は聖書に出てくる特別な言葉ですが、悪を根絶やしにすることは人が人生を歩むときに必ず通らなければならない道です。「あの頃は楽しかった」と罪の時代を振り返るなら、ロトの妻のように塩の柱にされてしまいます(創19:26)。エリコもソドムとゴモラの話も一つの共通した教えを伝えています。それは未来に広がる主の栄光に目を留めることを優先し、過ぎ去った罪の過去を思い出すなという教訓ではないでしょうか?