会いに来た人と離れた人

2テモ1:15「あなたの知っているとおり、アジヤにいる人々はみな、私を離れて行きました。その中には、フゲロとヘルモゲネがいます」
もう1人オネシボロという人の名前が出てきます。このオネシボロはパウロから離れた人たちとは反対に、パウロを慕い、鎖につながれていることさえ恥と思わずローマまで会いに行っています(16)。何があったか詳しいことは書いてありませんが、鎖につながれることと関連があるように思われます。イエス様もユダに裏切られ、捕らえたれたときに弟子たちは師を見捨てて逃げました(マコ14:50)。弟子たちにさえ、いざ現実が目の前に来たとき我を忘れて逃げたのです。パウロが捕らえられたを知ったアジヤの人々も同様な反応だったのかもしれません。その中にはフゲロとヘルモゲネと呼ばれる、おそらくパウロが大事に育てていた信徒たちも含まれていました。現代でも、自分の教師が、当局や警察に捕まるなら、人々は捕らえられた人との関係を否定しようとします。パウロは単に捕まっただけでなく、そのような見捨てられる経験をしていたのです。それでも会いに来てくれたオネシボロはどんなに心強く思えたでしょう。主は私たちが信仰を保つために、時に難しい状況を示します。