レバノン杉

エゼ31:9「わたしが、その枝を茂らせ、美しく仕立てたので、神の園にあるエデンのすべての木々は、これをうらやんだ」
神の園にある木々がうらやんだほどレバノン杉は美しく、立派なスタイルを誇っていたのだと思います。しかもそれは「わたし」が仕立てたと書かれています。ここでも「高ぶり」が問題になっており、高くそびえる様子はあたかも、バベルの塔を作った人のようでもあります。誰もが人の上に立ちたいと思うものです。そして、権威を盾に人に自分の言うことを聞かせたいのです。自分の放った言葉が思い通りに実現していくなら、もう何も怖いものはないでしょう。恐れるものがなくなることが罪の第一歩です。自分こそ智者で、誰にも止められないと考えているなら、それは大きな勘違いです。主を恐れなくなった時点で、その人は最も愚かになったのです。知恵と栄華を極めたソロモンでさえ、主を恐ることが知恵の初めだと悟っていました(箴1:7)。悟らず、恐れず、悔い改めない…は、サタンになりうる3つの条件だと思います。たとえ悟ることができなくても、主を恐れているなら救われる可能性があるでしょう。主を恐れなくても、罪を悔いて、もう2度と同じ過ちを犯すまいと心に誓うことができれば、主が振り返ってくださるかも知れません。しかし、3つとも無視して自分勝手に振舞うならレバノン杉に起きたことが、その人に下ったとしても何の不思議もないと思います。