主の王座

詩11:4「主は、その聖座が宮にあり、主は、その王座が天にある。その目は見通し、そのまぶたは、人の子らを調べる」
人が空を見るなら青く、白い雲が漂っているのを認めることができるでしょう。夜になるならば、黒い空に月は輝き、星がきらめくようになります。空の延長は宇宙です。地上と空気のない宇宙がつながっていることは、呼吸をしている人間にとってはとても不思議な感じがします。ガリレオの望遠鏡での星の観測以来、宇宙に目を向けてきた人類ですが、「天」と呼ばれている宇宙に聖座や王座があることはまだ発見されていません。それどころか、宇宙が果てしなく膨張し続けていることがわかり、光のスピードで宇宙を旅したとしても、何十万年という時間がかかることがわかっています。聖書のことばにケチをつけるわけではありません。ただ、主の王座が宇宙の果てにあり、宇宙の片隅にある地球に目を留められ、70億人すべての人の心を知り、あわれみ、愛をもって人を罪から救おうとされるなら、なんとスケールの大きい主の計画なのだろうと感嘆せざるにはいられません。まさに「人とは何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは(8:4)」というダビデの歌に書かれている通りです。