窮した者の祈り

詩102:2「私が苦しんでいるときに、御顔を私に隠さないでください。私に耳を傾けてください。私が呼ぶときに、早く私に答えてください」
この歌い手は「悩む者」だと表題に書かれています。苦しいときに、一刻も早く問題が解決して欲しいと願うのは万人に共通の意識だと思います。にもかかわらず、主がなかなか応えてくださらない…という経験はないでしょうか?この歌い手はまさしくそのようなときに主に訴えているのです。心はしおれ(4)、骨と皮がくっつき(5)、鳥のようになった(7)と書かれています。ところが12節の「しかし、主よ」という呼びかけから、自分の嘆きから主への賛美へと歌の内容が変わっていきます。その中には「窮した者の祈りを顧み、彼らの祈りをないがしろにされなかった(17)」という主への信頼と期待を告白しています。いまは苦しいけれども、自分が祈った祈りは決して忘れ去られない、という確信がここにあります。本当は1秒でも早く、苦しみから解放されたいと願っているはずです。しかし、苦しみも悩みもなければ主の恵みはわからないようになっているのです。イエス様の言われたように「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから(マタ5:4)」…というのは、慰めを理解するためには一度心が落ち込み、悲しまなければならないという神の法則によるものだと思います。