高くなりすぎてはだめ

エゼ31:14「このことは、水のほとりのどんな木も、そのたけが高くならないためであり、そのこずえが雲の中にそびえないようにするためであり、すべて、水に潤う木が高ぶってそびえ立たないためである。これらはみな、死ぬべき人間と、穴に下る者たちとともに、地下の国、死に渡された」
神の園エデンが再び登場しています(9)。そこでレバノン杉は大きく育ち、枝ぶりも良く、多くの鳥たちが安心して巣を作ったり、獣が子を産んだりしていました(6)。高く育つことは繁栄の象徴です。何も妨げることがなく前進できることは大きな自信にもつながりますが、高慢になる落とし穴でもあります。成長を期待する主の考えとは裏腹に、片方では高慢になる危険性を伴った人の姿があります。主は創世記の中でノアの洪水後、バベルの塔を破壊したことがあり、その結果として人は言葉が混乱し一致して大きな仕事を成すことができなくなりました(創11章)。人が天に届く塔を建てようとしたからです。この預言でも主は木が雲の中にそびえないように、と忠告しています。人には自由が与えられていますが 、それは主と肩を並べるものではなく、主を認め、主を礼拝するために与えられて自由であり知恵です。私たちは「死ぬべき人間」と呼ばれる高慢なものではなく、へりくだり神と人を愛するための存在として造られているのです。