詩篇106篇 「アーメン」と言え。ハレルヤ

詩106:48「ほむべきかな。イスラエルの神、主。とこしえから、とこしえまで。すべての民が、「アーメン」と言え。ハレルヤ」

106篇は「ハレルヤ」で始まり、「ハレルヤ」で終わる詩です。英語訳NIVでは「ハレルヤ」にあたる「haral ya」をすべて「praise the Lord」と訳しています。この歌い手はおそらく105篇と同じ人物か、あるいは105篇を聞いてその続きを歌ったのだと思われます。ことあるごとにイスラエルの民は、主に逆らい御心ではないことをしています。それは葦の海が2つに分かれ、敵の手から救い出されたのを目撃していたにもかかわらず(9)、荒野では神を試みるようになります(14)。主は彼らの願う水は与えられましたが、試みた罰として疫病を流行らせます(15)。また、金の子牛を作り、鋳物の像を拝んだときも(19)、モーセの仲介によってなんとか滅びを免れています(23)。さらにもっと多くの失敗と主への裏切りが書かれていますが、それでも主は忍耐を持ってイスラエルの民を導き、ご自分の契約を思い起こし、彼らを哀れまれたのです(45)。この出来事をイスラエルの民だからとか、神に選ばれた民だからとは思わないことです。これらの主への反逆や裏切りは、現代の異邦人の我々にも当てはまる出来事です。聖書を通じて神が何を教えようとしているのかを悟り、御心を知るなら、神を試みることも無くなるでしょう。聖書に書かれていることは、全人類に通じる戒めであり、ユダヤ人だけが特別なのではありません。